安廣一哉の独り言

1999年 極真全日本ウエイト制

投稿日:

 18歳で正道会館に憧れて上京し、4年目この時は正道会館の代表として極真会館(松井派)の全日本大会に出場。憧れの正道会館の看板を背負って負けたくない。練習も夢中でやりました。血尿もでました! 笑  試合会場へは戦場の敵地に乗り込んでいくような覚悟を決めて会場入り。 この歴史ある大会は参加人数が多いので二日間に渡って開催される大会でした。

 初日は3回戦まで戦い、勝ち残り初日を終了。 実はこの日2回戦に戦っていたのが、極真ロシアのネステロフ選手。この時はまさか4年後にK-1のリングで戦うとは夢にも思っていなかった。

【安廣一哉 VS ネステロフ https://youtu.be/1M66HFFB_wY 】  馬力があり長身から繰り出すパンチが強かったが、一歩も引かずに何とか打ち勝った。この頃から極真ロシアは強い選手が出てきた気がします。 初日に3試合を素手素足での試合、、無傷なわけがなく、しかも翌日は4回戦からスタートなので気も抜けない、今思いかいしても非常に過酷なトーナメントでした。でも疲労と興奮からあまり深くは眠れなかった記憶がある。

 二日目、四回戦、五回戦の試合のダイジェストが今回の映像。日体大仕込みのフィジカルと北海道で育った丈夫な体を活かしてとにかく前にでるスタイル。

当時、空手の試合はとにかく下がったら負け。 と前に出る事しか考えていなかったような、、しかしながらバドミントン仕込みのフットワークが武器の一つでもあったので、バックステップしながらでも強い攻撃ができたのも良かった。 基本は前出る。 でも格闘技全般、前に出て相手をさげると勝ちに近づくことは
確か。 後ろにさがっていると呼吸が乱れスタミナが削られる。 後手に回っているとも言えるか、誘い込んでさがるのか、相手のプレッシャーによってさげられるかは大きく違うが。  

とにかく夢中で戦った空手時代、本当に楽しかった。

当時稽古をつけてくれた鈴木先生、子安さん、出畑さん、他にもお世話になった先輩や仲間や兄弟分達、その後K-1選手に繋がったのも、この時の方達なくして今の自分はありません。感謝してもしきれないくらい本当にお世話になりました。

 今更ですが 心から感謝申し上げます。

  一緒に汗を流したり、血を流したり、遠征に行ったり、合宿に行ったり、数えきれない思い出が沢山あるな~

話がまとまらないのでこの辺で。    おやすみなさい☆

-安廣一哉の独り言

Copyright© ハレロイニュース , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.